心と体を置き去りにする「思考」について
とりあえず言えることは
「暑い、暑すぎる」です
でもまだ梅雨明けしていないんだそうで
(これを書いている7/2の段階ですが)
そのためダルさや倦怠感を
感じている方が増えています。
対策としては
・氷をいれた冷たい飲み物を寝る前にのまない
・エアコンをつけて寝るときは
部屋の扉(窓ではない)をほんの少し開けて寝る
・湯船に浸かる(シャワーだけは✖)
これで対策になりますので
ご参考になれば幸いです
今回は心を置き去りにする思考について書いていきます
人は無意識に筋肉を緊張させている
ほんと?となりますが
まずは試してみましょう
皆さん、膝の上に両手を置いてください。
その手を他人がとって持ち上げます。
普通は肘が自然に曲がるんですが
自分で伸ばしてしまっている方もいます。
なぜかこういう感じで、力が入っちゃうんです。
そうなる人は「力が入っているんだ」ということを
認識して欲しいんです。
これは無意識に配慮がある人は
相手のお手伝いをしちゃっているんですよ。
相手に負担をかけちゃいけないなと思っています。
日ごろの抑圧や筋肉緊張は
こうやっておきているんです。
とくに、「他人に配慮する人」というのは
相手が何かやろうとしたときに
手伝っちゃうんです。
無意識に。
つまり、無意識に皆さんはいろんな人の手伝いで
筋肉を緊張させちゃっているんです。
気づかないですがいつも力が入っているんです。
これは結構多いです。
ずっと手を上げていたらそりゃ辛い。
もちろん力が抜けている時もある。
でも、何かあったときにグッと力が入っている。
その力というのは
抑圧で筋肉を緊張させたままになっている。
そうすると
(外に出せていない)エネルギーがどんどん溜まってくるので
体は「動きたい」となる。
それが例えばけいれんとなって出てくるんです。
心と体が置き去りにされている
これに関して、ちょっと説明します。
これは皆さんにも共通していて
「こういうのがいけないんじゃないか」とか思うのは
「思考」ですよね。
「思考」とあとは「感情」と「動き」というのがあるんですが
簡単に言うとそれぞれ「頭」と「心」と「体」です。
「思考」がものすごく働いちゃっていると
本来の体の動きとか自分の感情まで
「思考」がコントロールしちゃっているんです。
本来、みんな平等で頭と心と体に主従関係はないです。
だけど、思考で本で読んだこと
人から聞いたことが
心や体に流れてきちゃうかというと
いつも「思考」が優先されているからです。
つまり「考え」で動いちゃうからです。
子どもの頃に
「あんた、もうちょっと考えなさい」とか
いっぱい言われているので
人は考えちゃうものなんですが・・・
体は本当はどうしたい?
気分は本当はどういう気分?
ということってすごく重要なんです。
多くの人は
体の感覚とか体で感じていることというよりも
思考を優先させています。
気持ち、心に思っている気持ちよりも
思考を優先させてしまう。
例えばお腹空いてますか?ここでご飯食べますか?と聞いたとき
動きとしては、ご飯食べたいんです。
でも、思考で「ここはご飯を食べる場所じゃないよ」と
言っているわけです。
これは、社会で生きていると必ずなるものです。
なので「思考」が主人公になって
「心」や「体」が付き人みたいになる。
そうすると
先ほどのように「本に書いてあったからそうなるかもしれない」と
いうと体がそう動いてしまう。
そうなると例えばだが
大丈夫だったのに電車に乗ったらいきなり息苦しくなっちゃう。
いきなり不安になってきちゃう。
体の感覚とか自分の気持ちとかを
充分に日ごろから感じる必要があるのは
そのためなのです。
体の感覚を感じてみる
体の感覚って例えば
今、右腕と左腕、どっちが重たいですか?
ちょっと意識してみてください。
なんとなくで良いです。
合っている間違っているはどうでも良いんです。
そういう感覚を感じようとしたことってあるでしょうか?
一例で顔の右半分と左半分、どっちが温かいか。
よく感じようとしてみてください。
今度はもう少しわかりやすいやつで
右のお尻と左のお尻で、どっちに体重がかかってますか?
これは真ん中にしてくださいということではなくて
「こっちに55、60パーセントくらいかな」
「こっちに62パーセントくらいかな」という風に
感じることが重要です。
日ごろこんなことを感じながら座っていないし
そんなこと関係なく顔を洗っているわけです。
ですが体の感覚を無視して
いつも「思考」にいっちゃっているわけです。
「姿勢が悪い」というけども
それが本当に姿勢が悪いのか
ということもなってきます。
人によっては
その姿勢が今すごく楽な人もいます。
背筋をまっすぐに伸ばしているのが姿勢が良いのかというと
一般に言われる姿勢としては良いかもしれないけど
その人の体に良い姿勢なのか?
ということにもなります。
背中が丸まっていた方が
その人にとっては良い姿勢、楽な姿勢
自然体ということがあるわけです。
なので
「体は今どうしたいのかな」ということなんです。
自然と人間というのは、ちょっと緊張して背筋伸ばしてとかなりますが
そんな緊張状態だと、思考ばかり働いて
体の感覚がわかんなくなってしまいます。
なので、自分の体の感覚、楽な位置って
どんな感じか?を感じてみるのもとても大切です。
感じるといえば距離感も感じやすいものの一つです
近くに来るとどんな感じですか?
離れていくとどうでしょう?
感覚が違うのがわかりますか?
近くなら圧迫感あったり落ち着かないですよね。
この体の感覚というのは常にあるものなんです。
だから無意識に最善のことを取ろうとしています。
それが「行動」になってきます。
近づくという刺激に対して
ちょっと距離をとるというのが行動です。
例えば嫌いな人が近づいてきたとして
逃げられるかというとそういうわけにはいかないですよね。
近所の人が「○○さん!」と言って近づいてきたけど
嫌いだからといって「近づかないで」とは言えないです。
だからまず、「行動を抑圧しやすい」というのは
知っておかなきゃいけない。
もう一つ、我慢し続けると
自分の体の感覚が分からなくなってしまいます。
ある人がいます。
先ほどのように近づいて行って、
どうですか?と言っても
「うーん…」という人もいるんです。
その人は、我慢し続けて感覚がおかしくなっちゃっている。
まひしちゃっている。
「失体感症」という、そういう症状があるんですが
体感が分からなくなって
下手すると暑い寒いも分からなくなる。
お腹が空いているというのも分からなくなちゃう。
なんかフラフラするなと思ったら
そういえば今日ご飯食べていなかったとか。
お腹は空いているんだけど、その感覚がまひしちゃう。
とかがこれに該当します。
本当の欲求を感じられていますか?
なぜ麻痺するのかというと
「行動」のときには必ず「欲求」というのが生まれます。
欲求というのは、満たされると気持ちが良いです。
「お腹が空いた」というのは
「何かを食べたい」という欲求です。
だからご飯やおいしいものを食べれば
満たされるわけです。
「欲求が起きてそれを満たす」ということをやっていると
行動しやすいんです。
ところが
「欲求が出てきたら我慢する」を繰り返していると
なんか辛いですよね、人生が。
そうすると、「欲求を感じなければいいや」
という風に無意識になってしまって
自分の欲求が分からなくなるんです。
これでよくあるのが
「やりたいことをやってください」と言われたときに
「やりたいことが分からない」という人が結構います。
それは、欲求を我慢し続けてしまったから
感情とか体のほうが欲求がわからなくなった結果です。
何を求めているのか
何を欲しているのかというのが「欲求」です。
「やりたいことをやっていいんだよ」といったときに
うつの人の多くは、ものすごく欲求を我慢した人が多い。
「やりたいことっていったい何?」みたいになってくる。
「とりあえず休もうかな」と
なって休んでいるとちょっとずつ回復します。
そのとき
リハビリのために動くのですが
「やりたいことをやっていいよ」と
言われても何をしたいのかがわからない。
これは、さっきの「力抜いてください」と同じで
力を入れるのが無意識で習慣化されちゃっているので
欲求を感じないようにするもの習慣化されているんです。
「力を抜く」というのもひとつの能力です。
「欲求を感じる」というのもひとつの能力です。
なので、「何がしたいか」というのを
感じよう感じようと思う、思い続けることが重要です。
そうすると
例えば「左右のおしりに何パーセントずつ体重がかかってますか」と
言っても分からない人がいるんですけど
やっていくと右のほうに体重がかかっているのが分かってきたとか
右の顔のほうがほんのり温かいかもとか
そういうのが分かるようになってきます。
だから、「欲求」というのは
体の感覚を感じようとしていくと
だんだん欲求も分かるようになってきます
これが「本当の欲求」で
「思考の欲求」ではないということです。
心と体の欲求を大切にする
思考の欲求はもう皆さんお分かりかと思います。
「~しなければならない」とか
「社会的役割を全うしたい」というような話です。
社会人でうつの方が休職していたら
「早く復職して働きたい」とか。
でも「体は働きたいって言っていないじゃん」と思うんですけど
本人は「働きたい」「働きたい」と言っています。
それは治ってもいないのに、内緒で復帰するんですよ
。
そして「実は先生…」と言って
また休職してきちゃう
みたいなことになりうることが多いです。
思考を優先しすぎて社会で一生懸命生きてきた人ほど
心と体が、簡単に言うとおろそかになっているというか
ケアされていないのです。
なので、心と体もいい子いい子して
あげなきゃいけないわけです。
そのためには
「自分の体が今何を求めているのかな」と感じてみる。
「うつにはどんな食べ物が良いですか」と聞かれるんですけども
うつかどうかは置いておいて
体が今欲しているものを食べれば健康になるんです。
ところが
「納豆が良いから」とかでスーパーに買いに行くんですけど
そうじゃなくて、納豆を体が欲してくるわけです
「あー納豆が食べたいな」と。
「お肉食べたいな」とか「野菜食べたいな」と勝手に思うので
その通りに食べれば良いんです。
野性の動物たちはみんなそうです。
ライオンは肉食ですけど
草とか食べている時もあります。
野性の場合は食べたいものが
手に入るのかという問題もありますけど
ああやって食べたいものを食べていく。
それは、人間の体の中で不足した成分、栄養素と
どの栄養素が何に入っているかというのが
無意識に分かっているんでよ。
重要なのは、頭(思考)、心(感情)、体(動き)全部を
大事にしてあげるのが
「自分を大切にする」ということで
思考を大事にすることが自分を大事にするということではないのです。
全部ひっくるめて大事にして
それぞれの欲求をちゃんと
満たしてあげるということが重要です。
心と体をブロックする筋肉
思考ばかりを優先させていると
体や心がストライキを起こすわけです。
心と体は「自分たちの言うことも聞け」と
いう風に言っているんだけど
思考と心・体のあいだをブロックして
体から頭に行く道と
心から頭に行く道をブロックするわけです。
そうすると頭、思考だけで生きていけるから。
このブロックをするときに
また筋肉が緊張してしまうのです。
心と頭のあいだではのどの筋肉を緊張させます。
体と頭のあいだでは首の後ろのほうの筋肉を緊張させます。
のどというのはゴムホースみたいになっていてのど全体が筋肉です。
緊張するとキューっと細くなります。
自分の感情が出てきて
イヤな人に向かって「あんた気持ち悪い」って
言っちゃまずいので、キューっとのどを締めるわけです。
それで言葉が出ないようにするのです。
でも、のどというのは他に何が通っています。
空気、息が通っているわけです。
そうすると、のどが締まると、息苦しくなる。
ほとんどの「息苦しい」という症状の元というのはこれなんです。
自分の感情がストライキを起こして
ワーッと言ってくるのを、のどでグワッと締めるわけです。
そうすると息苦しくなって、なんか息が吸えない。
息を吸っちゃうと、頭のほうに行く道が通っちゃうので。
そうすると気持ちが出てきちゃうから
情緒不安定になってきてしまう。
本当は情緒不安定のままにさせてあげれば良いんだけども
情緒不安定というのがいけないことだと
思っちゃっているから
「ちゃんと情緒を安定させなきゃ」となって
のどをキューっと締めるわけです。
なので、「ヒステリー球」と言われたりとか
飲み込みづらいという症状が出たりするというのは
ここをブロックさせて
自分の気持ちを隅に追いやって
なかったことにしようと思ってのどをキューっと締めている。
そうするとどうなりますか?
なんかむせたり、咳が出てきたりするんです。
その時、一瞬のどが開いているんです。
咳って確かに苦しいし
下手するとのどから血まで出てきたりします。
だけど、のどを広げようとなんとかしているんです。
ほかにも吐き気ってありますよね。
吐き気も、(のどが締まって)空気が通らないから
ものを通そうとします。
つまり、食べたものを通して
のどを広げようとしているわけです。
だから、過食症の人は
食べて吐いて、食べて吐いてなんです。
吐くときに、のどが開いてすごく気持ちが良いのは
のどは自律神経が支配しているので
吐くときには反射で広がっていきます。
自分の意思とは関係なく。
それをちょっとやりたいなと思い始めるのが
いわゆる「吐き気」です。
これも「症状」というのは良いことで
吐き気なんて吐いちゃった方が良いです。
げっぷもおなじことが言えます。
大きな声を出すというのも
のどを開くのにとっても良いことなんです。
それは対症療法のひとつでしかないので
心を感じるというのが重要になります。
我慢しなければいけないことも当然ありますけども
心を感じて、怒りを感じたとして
じゃあ怒っていいかというと
その状況は限られてきます。
その時は怒っているということが分かったら
「私は今怒っているんだ」と感じて
あとで、そのエネルギーを出すことを考えましょう。
これがいわゆる「ストレス発散」です。
愚痴を言ったり、けがをしないような状態で
クッションとかを壁に投げつけたりでも良いわけです。
そうやってエネルギーを発散するということが
壺の蓋を少しずつ開けていく。
開けっ放しだと
社会の問題児になってしまうので
閉じて開けてを、意図的にやる必要があります。
「あー開いちゃった」というときには
症状として出てきちゃう。
なので、いかに開けてあげるかということが重要なんです。
長くなってしまいましたので
続きは次にあげたいと思います
最後までお読みいただき
ありがとうございました。